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2007年05月29日

女性の節度

 以前のブログで,「女性の服装も何とかならないのか」って書いたことがありました→http://blog.fujimori-pro.gr.jp/2006/05/
 たまたまホームページを見ていたら,これ,実際に法律で制限しているのだそうです。ミニスカートなんかが該当するでしょう。

●「公衆の目に触れるような場所で…しり、もも、その他身体の一部をみだりに露出」したら、軽犯罪法違反として拘留または科料に処せられる場合もある(軽犯罪法1条20号)。

2007年05月26日

Linux その後(2)

 さっそく Cent の本採用インストールを始めてみました。昨日は

●32bit で行こう

と考えていましたが,色々と WEB で調べたり考えたりした結果,ファイルサイズが巨大なものでも扱える方向を重視して,

●やはり 64bit を選択

しました。色々とテストした結果,当社のように特定とは言え,色々な業種のお客さま(製造業,小売り,リサイクル,観光事業)をまとめてサポートさせていただいているので,少々の性能差は目をつぶり,有用性を重視しました。64bit の???な点については

●Cent 頑張れ!

って感じです。でも,テストインストールした結果では,64bit でも好調です。本当にシビアな性能を要求されるお客さまに出会った時には,回線を始めとしてハウジングなどでチューニングしていくことにしましょう。

 また,ディスクまわりでは当社は ARAID99 を採用しているので,株式会社MTG(エムティージー)の松永社長,技術の水井さんには大変お世話になってます。
 一応,ネイティブに SATA を使用すると 70MB/s でていましたが,ARAID99 2000 に接続すると 50MB/s となってしまいました。しかし,これでも「よし」としよう。HD を Hitachi にするか Seagate にするか,の問題でも微妙に容量が大きい Hitachi より,ファームウェアが特殊でも 1.5Gb/s にジャンパで落とせる Seagate をチョイスしました。HD が壊れた時に,微妙な容量差で HD を探し回らなければならなくなると大変ですもんね。また ARAID 自身が 1.5Gb/s(SATA-1)なので,HD が 3Gb/s のものより安定する傾向にある,と言う技術の水井さんを信じて!ちなみに採用した HD は Seagate ST3160815AS です。

・・・むむむ・・・ためしに32bit をインストールしてみたら,ARAID をつけると irqpoll が必要みたいだ・・・
●環境
DG965RY/Core2DuoE6320/512M×2/ARAID99-2000(Ver1.06)
●CentOS5(64bit):57MB/s
●CentOS5(32bit):
 
・・・と,ここまで書いたところで,ややっ!??32bit インストール中に「ディスクにファイルがない」などと表示された!入れ直してみると「ディスクが違います」だって!!!???焼きかたが悪かったのかなぁ,でもあれだけ ARAID 組み込む前はインストールできたのになぁ。ARAID の相性問題か!!!???

 うーむ,ARAID ははずせないので,ディスク IO の性能が良ければ 32bit にしよう,とか浮気心を起こしていたが,えぇい,今さら Fedora のインストールテストをする元気も時間もないので,

●CentOS5 64bit

で決まりっ!!!!

2007年05月25日

Linux その後

 2006年末より正月にかけて,当社サーバーをMacOSXからFedoraCore6(64bit)に入れ替え,色々と喜んだり苦しんだりしたが,約半年の稼働で判ってきたことを記そう。

(1)環境
Intel DG965RY
Core2Duo E6300
512M×2

(2)わかったこと
・インストール時に all-generic-ide iqrpoll オプションをつけないと駄目だと言ったが,これは 64bit 環境の話で,32bit の場合はall-generic-ide のみで良い
・DG965RY の場合,BIOS で Disk モードを Legacy ではなく Standard(Enhance?)にしないと,デバイスが hda となり,秒4MBくらしの性能しか出ない。適切に設定すると sda となって 70MB/秒くらいの性能になる(もちろんHDの性能による)
・pop-before-smtp は,FC6 では正常に動作しない

(3)自分メモ
 ユーザー数が多いので,apache,Dovecot,Postfixの待ち受けプロセスを100くらいに設定しないと待たされる
 apache で /etc/httpd/conf.d 中に security.conf が入っていると,apache が突然落ちることがある

 で,FedoraのMLを読んでいくうちに,どうやら業務で使用するのは Fedora→RedHat→CentOSとなって,Cent が良いみたい。そこで,順次 Cent に入れ替えていくことにする。またトラブらなければ良いのだが。
 また,MySQL も64bit より 32bit の方が性能が良さそう(http://www.thinkit.co.jp/free/article/0603/10/5/)だし,くわえて FC6 も 64bit は Yum も不審な動きをしたり,体感的に???と言う感じのもたつきもあるので,今回は 32bit で行く事にする。
 →こんなことも書いてありました(http://www.hyde-tech.com/HideWeb/fedora_core_6_installation_notes.html

 やれやれ・・・

(みなさん思われることでしょうけど,ソフト開発もしなければならないし,基礎研究や実験もしなければならないし,体がふたつあるか,自分だけ一日が30時間くらいあると嬉しいなぁ・・・おーい,ドラえも〜ん!!!)

デザイン変更

デザインを模様替えしてみました。
↓こちらのテンプレートを使わせていただきました。ありがとうございました。
http://www.tokyobuddha.com/download/index.html#MT-TMPL

2007年05月19日

長久手の事件について

 5月17日から発生した愛知県長久手の「たてこもり」事件について思ったこと。

 未来ある,熱心な警察官の方が流れ弾に被弾し,亡くなられたことについて,まず哀悼の意を表します。親御さんは表現できないお気持ちであることでしょう。

 犯人は投降し,はやくも裁判を見据えたように「殺意はなかった」などと言っているそうですが,過激なことを言いますが,もう,射殺ものですよ。だいたい拳銃を所持していること自体が銃刀法違反なんて生易しいものでは済まないですよ。裁判や法律の用語で「未見のなんとか」って言うのでしょうか,人が集まっている場所に発砲すれば,誰かがどうにかなるかも知れないことくらいわかるはずですから,仮に犯人が「大変なことになってしまった」と後悔の念から自暴自棄になったとしても,責任は問われるべきですよね。

マスコミも「被弾した警察官を救出するのに5時間かかった」などと言ってますが,これ違ったことになってたら,必ず別のテーマを持ち出して警察を糾弾することになってたのでしょうね。

 人をあやめるのには色々な理由があると思うのですが,手法について言えば,たとえば,一般の人ならせいぜい包丁がいいところでしょう。包丁なんて,どこの家にも一本や二本はありますから,普段は家族のために料理を作る,愛情表現のための道具がその瞬間には凶器と化してしまうことはありえます。
 しかし,拳銃は生命をあやめること以外には使用しないものなので,これを所持していること自体が「すでに生命をどうにかする」意志が存在することになりますから,その人間性自体,考え方そのものに危険があることになります。たとえ,身を守るために必要で所持していたとしても, 君子危うきに近寄らず,で,そういう内容には近づかないようにするべきであろうと思うわけです。

 でも,色々と考えてますと,たとえば戦後の日本,いわゆる愚連隊が跋扈していた時代は一般市民も大変だったと思われます。生きるために商売をしていたら,難癖をつけられる,すぐ力に訴えてこられる,そういう時代では,どのように生きてこられたのか,当時の(私の親の世代)人たちの生き様,境遇なんてのは,想像の域を超えるものであろうと思います。

 両親の昔の写真(当然,モノクロ)をみてますと,しかし現在の世相より,明るい感じがするのは私だけでしょうか。いろいろなところで昭和30年代,40年代の写真を見ますが,どこか生命力を感じるのは,物や食糧には困っても,人間としての基本やルールに一貫性や通念があって,それにしたがった未来への希望があったからでしょうか。連帯意識と言うか。

 いま,ビジネスライクに「個性の時代」とか「大衆から分衆,そして個衆の時代へ」とか格好良く言われて久しいですが,結局それって軸を見失ってしまったら

●個人の体験に基づく狭い範疇での自己判断

に依存する人生を送ってしまうことになるので,まとまりにかけるのではないでしょうか。いざと言う時の国家の一大事に参加できなくなってしまうのではないでしょうか。

 話はどんどん変わっていきますが,不良クリスチャンの私としては,やはり軸は神様にあります。いま,とくに日本人は宗教観の喪失と言うか,中心,軸となる存在の意向を考慮しないで,自分の意向を優先してしまう傾向にあるのではないかと思います。
 家庭なら家長(男女,年齢を問いません),地域なら自治体の長,会社なら CEO ,国なら大統領や首相,地球なら???,宇宙なら神さま,と言うように,軸を決められて「こっちの方向だぜ!」っていう人が育たないし,その首長をたてるという意識がなくなってしまっているような。

 宗教の話をすると,嫌う人もおられますが,宗教の目的は宗教をなくすことであると言う点を,良く考えていただければ幸いです。

 ぜんぜん話がまとまりがなくなってしまいましたが,今回の事件でも,家庭内だけのことであれば普通の事件で済んでいたのに,あんなに騒ぎを拡げてしまって,バカとしか言いようがない。(放送禁止用語でしたっけ)
 殉職された警官の身内の方は,死刑にして欲しいと思うかも判りませんし,そのお気持ちは充分理解できますので,同意したいところですが,終身刑相当(無期懲役ではなく)かな,と思いますが,実際の判決はどうでしょう??もっと軽い判決が出るような気がする。

 それよりも死刑にすべきは「親を殺してその首を持って出頭した高校生」ですね。終戦以前の日本であれば間違いなく死刑でしょう。確か,近親殺人は極刑だったような気が。情状酌量の余地がない。

 少年法の改正が云々されていますが,私自身の子供時代を振り返って思うに,昔は

●死刑になるぞ!おまわりさんがくるよ!

というのが,結構効果的な脅し文句で通用していたのですが,今はどうでしょう。

 さっきも述べたように,色々な経験をする機会が減り,地域交流が減って人の意向を汲む訓練がなされていない今の時代では,少年法も厳しくするべきです。

 爆弾発言。

(1)少年法は情状酌量できない場合は一般刑法を適用する
(2)無駄な公共工事(使わない施設)の予算などを地域ボランティア,地域活動予算として振り分ける
 →地域主導で清掃などのルーティンワークを決め,それの告知徹底に予算を使う
 →小学生,中学生は絶対参加,できれば親も
 →その活動時のリーダー(責任者)はその区域で持ち回り
(3)小学校では「ボランティア」の時間を正規授業として週二回,最初の一回は「どこで何をするか」を決める時間,次の時間は実施する時間
 →かわりにパソコンなど IT 教育の時間をやめる,IT教育は高校から
 →パソコンに興味を持つ人は持ちますから,それは家で親と相談してやったらよろしい
(4)国語の時間を増やし,本を読む時間を増やす
 →語彙を増やすことが目的
(5)小学校,中学校に「論理」の時間を追加
 →原因があって結果がある,何かひとつの事象に対して,なぜそうなるか,どうしたら良かったのか,検討する
 →「正解」はでなくても良い,推理洞察する習慣をつけるのが目的(反射的に好き嫌いや興味でものを言うことに対する対策?)
 →逆に,「こうしたい」と思う場合は「どのようにしてそこに到達するか」も考える,結果を導くためにどういうプロセスがあるか,推理する
 →嫌でもやらなくてはならないことに対する耐性をつける
(6)小学校,中学校で「地域参観日」を徹底する
 →「育ての親」を共有する
(7)「宗教」の時間を作る
 →その宗教が起こったいきさつや考え方を,歴史的経緯とともに説明し,世界には「こういう考え方が潜在的にあって,それでこういう行動になる」と言うことを検討する
 →テロなどの大事件の背景を学習する
(8)学校で発生したけがや事故などについて,親はとやかく言わない
 →学校は病院や託児所ではなく,知識を学び,体を鍛え,情操をたくましくする場所であるので,その中ではけがなども発生する可能性は多々あることを親に理解してもらう
 →監督義務違反は別
(9)「愛」の時間を作る
 →愛とは何か,どうすることが,あるいは,どう「しない」事が愛なのか,検討する時間にする

 現実的ではないかなぁ・・・感情が先走りして話がぜんぜん支離滅裂。普段の出来事のうち,事件に転化する瞬間をいかに察知し,いかに良い方向に転換させるか,その能力が問題ですねぇ。死刑にしたって,あの世に行った魂をどう導いていくか,また,私だって,より正しい考え方は何なのか,判らないままにしゃべっているので,烏合の衆の一人には違いないです。はい。

2007年05月10日

うまい話

 今日,仕事で岡山県倉敷市真備町に行ってきました。お昼にうどんを食べました。うまかったです。おわり。

 では,当然終わりません。地元に二軒うどん屋がありました。ひとつは「へんこつうどん」で,おそらくチェーン店。もうひとつは「かわはら」と言って,個人営業のような店。どちらにしようか迷ったが,私の第六感が叫んだ!「かわはらに行け!」

 大正解だと思います。「いか天うどん」「おにぎり」「おでん三つ」を注文。おでんも甘すぎず,辛すぎず,うどんはコシがあって喉ごし爽か。
 お客さんと店員さんが「おじいちゃん,退院したんだって?」「そうなんよー,ありがとう」とか,来る客来る客,みんな事情を知ってそうな感じのところが,地元に愛されてる雰囲気で,こういう店は大将の機嫌さえ損なわなければ良い店なのです。店員さんもはきはき,愛想が良くて,玄関に貼ってある「求人」の紙にも「明るい人」と明記されており,お店の方向性がはっきりしてるな,と好印象でした。

 かと言って,ちゃんと通りすがりの営業マン風の人もいて,入口は狭く見えたけれど,中は広くて,懐かしいお店って気がしましたよ。ただ,入院したおじいちゃんから代替わりしたと思われる息子風の大将が,「天ぷらまだか!」「はよ,せいっ!」とか,お母さん(つまり入院したおじいちゃんの奥さん?)らしき人に怒鳴りつつ,うどんを仕上げていました。その息子のお嫁さんと思われる人が店を仕切ってました。

 看板に「手打ち」と書いてあったので,「ほんまか〜??」とか思いながら,厨房を時々見てたら,なんと本当にうどんを途中で伸ばして切ってました。「ほんまじゃぁー,それでうどんの太さがまちまちなんじゃぁー」と納得。ただ,天ぷらの油がちょっときつかったかも。

 せっかくうまいうどんの話しをしたので,私お薦めの店をいくつか。

お好み焼き 府中「古川」
●ラーメン 府中「大吉」ノーマルラーメンも旨いが,大吉ラーメンはゴマの風味がたまらない!,夜の部なら「かっちゃん」のみそラーメン
●ラーメン 福山「十八番」(三吉町本店),ここのノーマルラーメンはもちろんの事,ちゃんぽんがクセになる
●ラーメン 御調「名前は忘れたけど,セブンイレブンの敷地内にあるラーメン屋」
●カレーうどんなら福山市松永,福山市瀬戸町,福山市新市町,それぞれの天霧,片栗粉の混ざった,さっぱりとろり系の「あつあつ」ルーが病みつき
●天ぷらうどんなら府中の「蓑屋」,「あげたての」天ぷらを「できたての」うどんに「すぐ」のせて,「すぐ」持ってきてくれるので,「じゅんじゅんちゅんちゅん」という汁と油が弾ける音が食欲をそそる。「あー,今から天ぷらうどんを食べるんだ」と言う期待感がいやがうえにも高まる,天ぷらの油は綺麗で大変良好!
●昼のランチなら,お膝元府中商工会議所一階の「いっしん」の弁当。量が多いのが苦しい時もあるが,居酒屋もされているので,同じ仕入の刺し身の時は「あたり」で旨い!

 だいたい,ラーメンは,地元だと,「尾道はせべ製麺」の暖簾がかかっていれば「外れはない」かと思いますね。

 うーむ,食欲に支配されてますねぇ・・・

2007年05月06日

懐かしい

 ソフト開発の合間にインターネットで息抜きしてましたら,私が大学時代に製作して日本ファルコムという会社から発売された「ホラーハウス」というゲームについての話を見つけてしまいました。
 今は,パッケージもソースプログラムも残っていないですが,もしかしたら竹本くん,これ見てて,もしまだコピーが残ってたら,送ってくださいませ。古さんか吉見も持ってたら,よろしくです。

http://www14.big.or.jp/~nijiyume/fal002/8284/fcg/hhs.htm
http://www14.big.or.jp/~nijiyume/fal002/8284/fcg/hh2.htm
http://blog.zaq.ne.jp/oldpc/article/80/

 今となっては,いわゆる「クソゲー(笑)」の範疇ですが,当時は方眼紙(グラフ用紙)に絵を描いて,それをドットで拾い上げて座標を入力していき,グラフィックを描かせたものです。
 その頃の私は「I/O(あいおー)」や「マイコン」「RAM(ラム)」と言った雑誌に「競馬ゲーム」ほか,数本のソフトを発表し,原稿料を貰ったり,カセットテープサービスで,色々な人と知り合いになれました(たしか市役所にお勤めだった相模原市橋本の関根さんは,どうされてるかなぁ)
 発売後,立川に遊びに行き,加藤社長とお会いしましたが,その時黒板に,ソフトの売上ランキングが書かれてありましたが,表敬訪問のためにわざとそうしてくださっていたのかも判りませんけれども,ホラーハウスが一位となっていたのは嬉しく思った記憶があります。
 その後,第二弾で「ホラーハウス2(パッケージ名は「狂気の館」)」も発売していただき,さらに翌年(1984年)正月に第三弾として「アントワールド(蟻の世界)」という長編を企画しています,とお伝えしたら

●当社は現在「デーモンズリング」という作品を発売する予定になっておりますので,旧態のものはやめます

といったお話を伺いました。第二の「シブサワ・コウ」を目指していたのですが,ガーン!。・・・で,「ぜひ,見て参考にしてください」と言うことで,発売前の「デーモンズリング」のパッケージを下宿に送っていただき,見た時の衝撃と言ったらなかったなぁ・・・なぜ,フロッピードライブが一度「カチッ」とアクセスするだけで,あんな複雑な絵が一瞬で出てくるの?????あれ以来,ゲームは作っていません。(大笑)

 (今思えば,恐らく画像の色が限られていたことから,グラフィックバンクメモリの未使用部分に次のデータをロードしていたのだろうと思う)

 それ以降,パソコンも,とくにPC-88系のソフトは完成度が高くなり,世間の技術向上について行けなくなったため,日立の「MB-S1」というマイナーなパソコンに乗り換え,ひっそりと使っておりました(88を買ってくれた幹事長の倉橋くんも,初代の S1 model 10 を買ってくれた福島くんも,今はもう,持ってないだろうね)。S1 は,汎用コンピュータの仮想記憶のアーキテクチャを採用し,コンピュータ学習には持って来いの機種でしたが,何となく意味は判るものの,では,どのように使ったら良いのか,テーマも技術も判らない有り様で,今,あの機械があれば・・・やっぱり使わないですね,時間がないから。それと,見てもらえる人がいないので。(苦笑)

 あと,懐かしいと言えば,同じく学生時代に大阪の「プランタン難波」だったかな,そこで「パソコンを使った手相占い」のコーナーをやりました。同じゼミの古さん,吉見たちがやっていたプロジェクト(東大阪マイコンセンターの大久保さん,元気かなぁ)を引き継いで,ソフトを完成させた後,デパートで使ってみた,と言うわけで。
 大久保さんと言えば,日立化成の大阪支社?の販売管理ソフトを卒業目前で頼まれ,断ったのですがお金だけ置いて行かれてしまって,やむなく着手した記憶があります。あのソフト,未完成だったのですが,その後,どうなったのでしょうか・・・・あの時,初めて,今までの,遊びではない,シビアなビジネスのコンピュータと言うものを感じて,将来に一抹の不安を覚えた記憶があります。

 今となっては,何もかも懐かしい・・・地球か・・・懐かしい・・・・

2007年05月03日

求人を開始しました

 広島県府中市および広島県福山市のコンピュータ関連組織「藤森プロダクション」では,即戦力となる幹部候補の募集を開始しました。
 10 年目を控え,新規事業への展開と,既存業務であるコンピュータやパソコンのサポート体制のテコ入れを目的としています。前向きではつらつとした,ユニークな人を募集しています。

 http://www.fujimori-pro.gr.jp/recruit/recruit.html

 技術的な知識はもちろん,業務遂行にあたって,正当なプロ意識を持つ方を募集しています。プログラマ(ソフトウェア開発),サーバー管理者,ユーザーサポート業務などです。RealBasic や Fedora が好きな人,歓迎!でも,法人サポート経験のある人のみ。